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12/5/2002 せんさんの住んでいる場所 住所はひみつですが 住んでいる周りがどうなっているか 確かめたい人はロゴをクリックして下さい。 上のロゴをクリックしてください。 |
自分の歴史 西暦2000年まで
| 年 | 和暦 | 月 | 歳 | 出来事 |
| 1960 | 昭和35年 | 12 | 0 | 誕生 出産時のトラブルで脳性麻痺になる 股関節脱臼にもなる。 |
| 1967 | 昭和42年 | 6 | 義務教育の年齢だが 就学猶予で小学校入学が一年延びる | |
| 1968 | 昭和43年 | 4 | 7 | 信濃整肢療護園に入園(現信濃医療福祉センター) 長野県諏訪養護学校 小学部に入学 |
| 1972 | 昭和47年 | 4 | 11 | 整肢療護園 退園 寮(寄宿舎)に移る。 |
| 1973 | 昭和48年 | 12 | 諏訪養護学校 小学部卒業 中学部に入学 | |
| 1976 | 昭和51年 | 15 | 諏訪養護学校中学部卒業 高等部入学 | |
| 1980 | 昭和55年 | 3 | 19 | 諏訪養護学校高等部卒業 |
| 同上 | 4 | 19 | 長野県身体障害者リハビリセンター入所 1度目 | |
| 1982 | 昭和57年 | 3 | 21 | 長野県身体障害者リハビリセンター退所 家で家業酒屋の手伝いをする。 |
| 1985 | 昭和60年 | 24 | 長野県身体障害者リハビリセンター入所 2度目 簿記を勉強する。 半年で退所。 |
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| 1988 | 昭和63年 | 28 | このころからワープロを使った通信を始める オフ会や友達に会いに東京に月に一度くらい行く。 |
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| 1995 | 平成7年 | 5 | 35 | 海外に行く ハワイ |
| 1997 | 平成9年 | 37 | このころから体の衰えが激しくなる。 | |
| 2000 | 平成12年 | 39 | 家業が酒屋をやめる,個人事業者になる他色々とありまして 限界を感じる。 |
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| 2000 | 平成12年 | 12 | 40 | 長野県身体障害者リハビリセンター入所 3度目 |
私の記憶だけですので 間違っていたらごめんなさい。
はじめに!
今年1月から3月までOT(作業療法)で 家族に私を判ってもらおうと手紙の形で
自分の事を文章にしました。
書き足し、書き足しでしたので お見せすることを随分と考えました。
しかし 折角書きましたし、 今私がこういう思いでいることを表すのにはこれが一番良いと考え
下記に載せます。従って文章がよみにくい所もありますが 良かったら見て下さい。
前略
今回の入所で 感じたことと 私の夢希望などを 手紙として書きたいと思います。 読んでください。
まずはここ「リハビリセンター」は病院ではありません。
私の場合は重度身体障害者更生援護施設という所にいる事になります。
ここでは根底にある病気や失った機能を戻すことはしませんので
普通に言う病気が良くなるってことはありません。
では何をしますかと言いますと 失った機能以外のもの「人によって違う」を
使い生活をしようという目的のため、訓練しています、
さて 私はと言うと これから暮らしていくのに必要な手段とか心得とかを
収得しようとしています。無駄な力を入れないように 生活全般を見なおそう、
これからどうして 生きていこうかが目的ですので リハビリセンターに入って
退所しても なにも変わってない、むしろ悪くなったのではという事もありますが
それはそれで ご理解下さい。
したがって ここでは 看護婦さんは 健康管理だけをして 生活全般は指導員が
あと日常生活動作については それぞれの専門のスタッフがいます。
私は何をしてもらっていますか?
医師 薬の処方 痛みなどの原因の説明と対処。
検査など医療的な事が必要になった時の対応
例えは 咳が出て困ると言うとここでは 外来患者して診察をうけます。
更生相談室 田中康夫長野県知事も間違えたくらい難しいのでずが
障害者が生活をするための必要なことをしている所です。
装具とか車椅子などを作るための手続き
福祉機器の購入の手続き
施設に入所するための手続きをここでしてくれます。
悪い事をして相談に来る所ではありません。
心理カウンセラーさんもここにいます。
生活指導員 私の場合は 事情が判ってる方は自分でやりなさいとはいいません。
まず 現在の生活に困ったら、この方たちに言えばいいという感じです。
しかし、勤務が交代制でまちまちなので 今日言ったから
今日出来るというものではありません。
担当の方は最初は戸惑っていましたが 今は事情が把握出来てるみたいです。
薬とか導尿道具以外の物や 長期にわたり生活に必要な事も
リハビリセンターの施設にいる限りは生活指導員が行います。
看護婦 導尿器具の購入について。
(健康管理室) 薬の管理 痛いとかしびれるとかを訴えます。
薬をつけたり 導尿など 医療行為はここでします。
医師に診てもらうかもここで相談し決めます。
PT マッサージ 体が硬くならないようにしています。
車椅子とかを装具のことも相談しています。
OT 生活がしやすいように食器やお風呂用具やベットを工夫して
もらっています。あと普段は、この手紙作成の補助をしてもらって
います。自分をいかに表現するかなので なかなかきついです。
真相をいかに確かめて どういう手段があるか観ているみたいです。
ST 代替の音声をさがしています。グループ訓練では
自己表現について観ているみたいです。
職業訓練 ホームぺージの作成ソフトを使った自習をしています。
パソコンの技術的な助言などです。
心理カウンセラー 2週間に一度 その時思ったこと考えてる事を
話しています。
栄養士 私の場合は皆さんとおなじものを同じように食べることが
不可能なので 生活指導員にいえば食べやすいようにして
もらえます。
食事は最初から比べると大きく変わりましたけれど これは
普通食をむせながら食べるよりも食べやすくして
もらい食べた方が これからの生活には絶対良いと思ったから
ですので 味はともかく続けたいと思います。
その他 ここにはたくさんの障害者がそれぞれの目的を持ってその人に合った事を
訓練としています。私は生まれつきの障害ですが 他のほとんどの人は、
これまで健常とよばれていた方です。話をしていますとなかなか勉強に
なり面白いです。
それから ここでは 自分か思わなければ 何も始まりません。
その辺が 大変と言えば大変です。
今は脳性麻痺の人は こういうリハビリ施設にはいませんので
はじめに言われた事は、大変だよという事です。
リハビリ施設ですので 自分でしないと言うことを 生活指導員 看護婦さんからいわれています。
訓練は PT(理学療法)OT(作業療法)ST(言語療法)と 職業訓練です。
それから食事も風呂もトイレも訓練のうちです。
さて 私の課題は、なにができるのか なにが出来ないのか何処でどうして生活しようかを
長い目で考えようです。
私の障害では物事が100パーセント出来ることはありません。
生まれた時からでしたので、それで慣れてしまっていて、今頃訓練だと言われても、
40年もつき合った体なので、どうしようもないと言う事です。
まずは基本的な事を三つあげます。
1 職業にはつけませんのでどうして生活していくか。
2 施設によって入れる基準はまちまちなので考えてみよう。
3 言語障害についてどういう障害かを理解してもらおう。
後々大事なポイントになります。 私の言語障害を理解して頂くため、
書きましたので読んでください。
「体の緊張がもの凄く強いため 人間が声を出すための機能が殆ど
ダメになっています。具体的には、顔面の緊張や口の中の筋肉の
緊張が高いので、息が言葉にする事が殆ど出来ません。
したがって 学生の頃から 代替の音声は必要で、発音とか発声
練習をいくらしても 知識ばかり身について 実際には出来ない
という、心理的にきわめて良くないことを 何年間もやってきた
訳で、専門家さえも すみませんと言ったほどです。」
在宅、自立、授産施設、療養施設の4つについて考えました。
在宅
これが一番難しかったりします。マニュアルがないので
私がいいといえばそれで終わりなのですが 今回入所のいきさつなどがありますので
最後までそれは言わないつもりです。
まず今までですが、私は自分が出来る事を健常とよばれる方と一緒の目線で
しようと頑張ってきました。しかし、もう違う生き方をしてもいいのではないかと思っています。
ちなみに今の我が家の収入は 今たばこ菓子などを売ったお金と
隣をマッサージをしている人に貸している家賃。
支出は借金があります。銀行とクレジット会社のリース契約
それから日々の暮らしをするお金も必要ですね。
問題 1 コミニュケーションが取れないこと。
代替音声を認めて欲しいです。肉声だけが回答と思われて、とてもつらいです。
もっと障害について理解もして 無理な事、酷な事は押しつけないで欲しいです。
なにか私が家族側の意向に従うのが当たり前になっていて、極端な話
ノーと言うと二度と介助が受けられなくかもしれないと言う怖さもあります。
心の格闘があり 体の調子なども考えてしまいます。
それから重度の障害者は何処に行っても、本人よりは家族に説明をします。
まあ相手にも問題がないとは言えません。
問題 2 介助の在り方 部分介助は難しい。
今までの私自身はあまり弱い事は言わない事が良いことだと思っていました。
これは私も反省しています。
例えば 頸椎症の進み方とか(痛みとかしびれとか脱力など)飲み込みの障害
(食べ物が肺にはいる事)はだいぶ以前にドクターから言われていました。
したがって 私自身は ああそうかと思うだけでしたが 家族は、なぜ、どうしてと思ったはずです。
私自身の意識と家族が私に対する意識がずれているまま、今までズルズルと生活してきました。
それで疲れてしまいました。
もっと楽に 自分ですることはする 出来なければ介助と言う事ができないかなと思います。
昔からその点は施設の方が楽ですよ。
同居家族全員まずはそれからしないといけないと思います。
問題 3、住環境 設備。
お風呂やトイレは住宅改造しましたけれど、私の居室については とても落ち着ける
所とは言い難いので困っています。
居室を移すが直すかしてほしいけどお金がありません。
問題 4 生活の在り方。
これから(現在もですが)私は体の老化とプラスしてくる障害とどうやってつき合うか
を、いかに日々を過ごすかが課題です。こんな事を言っては怒られそうですが、
健常と呼ばれる人たちより老化のスピードがずっと速く、先が短いと考えた方が
良さそうです。
その中で詳しくは後で書きますが、あくまでも職業についてお金を稼ぐのが目的でなく、
日々が過ごせて、私も周りの方もリフレッシュ出来たらという目的で暮らせたら良いと
思っています。
例えば 通所施設については 施設の方と、私と、家の方と、ここの担当さんの
話し合いで4者が納得出来れば良いです。ただ医療や疲れとの関係で行っても
週に一度位になってしまうかな。
ですから ささらの里のディケアでも結構だと思います。あの時間は楽しく過ごせたと
おもいますし 今の施設で生活が出来るのも ディケアで考え方を 力んでしっかり
やらなきゃいけないから 日々が楽しく過ごせたら、それでいいと変えたからだと
思います。
共同作業所も、目的は仲間同士でその日を過ごせたらいいです。
しかし長期的に考えた場合は 親・兄弟との関係とか、世間体とかを考えなくては
ならないので ごたごたが耐えないと思います。
自立
今 障害者の自立は 住宅を借りて そこで福祉制度を利用して
日々の生活をしようというものです。
お金は私の場合は生活保護を使うことになるそうです。
まず 生活保護を受けて暮らすことを 家族の方に了解をしてもらう事だそうです。
家で商売をしている以上はどうしても世間体を気にしなればなりません。
それから 実際の生活では、介助を受けます。
介助の方も その度違いますので 何時、何処で誰が何をどの様に
どうするかを 正確にわかりやすくつたえなければならない
その事自体は、何処に行こうと変わりません。
施設の場合は 介助の方が沢山います。時間制限もありません。
ある程度伝われば それでいいとなりますので 気分的にも楽です。
一人暮らしの場合は 介助の方と自分しかいません。
生活のすべてに於いて 正確でていねいに言う事が求められます。
介助の方にも時間制限がありますので 時間内で 必要なことすべてを
伝えないと 生活が成り立ちません。
しかも施設の様にストレートに言っては介護の方に外でなんて言われるかわかりません。
言葉遣いに注意しながら言わなくてはなりません。
日本語の難しい所で 何々を「してください」は 「やって」「やれ」「して」「しろ」等の表現があります。
その全部を言えるのが施設です。 「してください。」しか使えないのが一人暮らしです。
言葉の勉強みたいですが それだけ難しいと言う事だけ 知ってほしいのです。
毎回 例えば コーヒー一杯を飲むために お湯を何CC程沸かして
カップはどこにどれがあり 砂糖とミルクも必要ですし それを取って
もらって カップにどのくらい入れてもらうかも 全部ていねいな言葉で
つたえなければならないのです。コーヒーを飲むだけで疲れてしまいます。
ちなみに家では やろうと思えばできますが 周りが粉やお湯が飛びます。
しかし後は家の方に任せる事ができました。
一人暮らしの場合、任せると言うことができなくなります。
お願いしますと言わなくては何もしてくれません。
24時間365日 こう言う感じでは 考えただけで無理だと思いました。
それと住宅を借りますので ゴミ出しとか、地区の活動にも、顔を出し、
必要なお金を払わなければなりません、とにかく自分の事は自分の責任で
生活のすべてを取り仕切る訳です。
これはある面では結婚生活より大変だと私は感じました。
私自身が、その事をしてなおかつ人生を楽しめるかと言うといまからでは
とても無理としか思えません。
1月4日に松本自立支援センターに相談に行きました。その中では今書いた
事も言われましたし、「これは本人も家族も負担が大きすぎます、けれど
やってみたければ、また相談にのりますので、来て下さい。」と言われました。
多分所長さんが言いたかったのは、「無理しないで生きましょうや」だと思いました。
幸い支援センターの所長さんも副所長さんも 知っている方でしたので
これは本人も家族も負担が大きすぎると 支援センターの所長さんと
してではなく 知り合いとして 言われて来ました。
授産施設
働く場 福祉的就労の場です。
三郷村の幸泉園や長野若槻園、上田しいのみ園がそうです。
一般の企業などでは、働けない障害者を受け入れて 企業で働ける様に
なるようにする施設です。実際はここで軽作業などをして過ごします。
最長は老人と呼ぶ年齢までいることができます。
働くというのが目的ですし 製品としてお客さんに買っていただける
ものをつくらなくてはなりません。
私には、先に書いた基本的な事があります、この中にもやっていることが
色々とありますので、受け入れてくれる施設があれば、行きたいと言う
気持ちはあります。
療護施設
施設サービス 入所施設利用です。
ささらの里、梓荘などがこの施設です。
常に介護が必要な障害者を受け入れて、治療や介護を受けて過ごす所です
私にはまだはやいとか入所判定の時いわれましたが、ここで生活してみて
やはり医療がそこそこにある所という事では一番良いのではと思っています。
他にも 通所施設や グループホームとかがありますが、
家族との関係を壊さないで 私の願いをかなえるには 難しいです
こまった事も 起こっています
例えば このnecのパソコンは三キロありますが 自分で持てますし
歩けます。しかし 長く歩くと後に痛みが出たり しびれたりしますので
担当の指導員や看護婦さんは あまり無理はいいません しかしそれを
しらない人は 何を出来るのにやらないのかなと思うらしいのです。
これは一番 リハビリセンターでは 困るらしいのですが 私にすれば
立派なリハビリです。
無理なことはしないと言うのが これから大切なことだと思います。
それに関する事かもしれないのですが 私は 生まれたときからだと
思いますが、五感がちょっとずつ悪かったんだと 感じています。
若い頃は、ちょっとずつ悪い感覚を、他の感覚でカバーすることができました。
段々年齢を取り使っているうちに 悪い感覚はもっとわるくなり 他の感覚でカバー
出来なくなってきました。そのため 普段の生活でも、もの凄くエネルギーを使い、疲れてしまいます。
視覚も 聴覚も 味覚も 嗅覚も 触覚も フル作動しないと 物事がすすんでいかなくなっています。
でも こんな私でも何かしたい、生きたんだという証拠がほしいと思いました。
下手だけど文章や記録は残せるなあと思いました。
私にとっては大した事でなくても読んだり見たりした相手方にとっては
凄い事ってあるはずと思いました。
例えばわたしが一人で東京に行って 健常者と呼ぶ人と遊んで帰ってきます
私にとってはあたりまえに列車に乗ってくると言うことが凄いらしいのです。
そういう事を ホームページでもいいですし 本でもいいですが、何かの形にしたいと
ずっと思っていました。
家の方が自由がきく所もありますが 私が精神的にゆっくり出来る スペースがあまりにもないので
三食が出て、お風呂にも入れて 自分の時間がそこそこに使える所を 見つけている様な訳です。
後は どう考えて どう行動するかだと思います。
ご理解をお願いします。
では これで終わりにしたいとおもいます。
難しい話をたくさんしました 少しでも分かっていただける様に書いたつもりです。
ありがとうございました。
仙葉元章
2001年1月